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浜松市の開運占い引き寄せサロン「言の葉の館」代表の石川(縁神-えんじん)です。
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吉野神宮|奈良県吉野郡吉野町
南北朝時代を代表する後醍醐天皇が御祀りされている吉野神宮は、明治天皇の強い願いもあって明治時代に創建されたそうです。
吉野神宮に到着すると、まず一際大きな鳥居が目に入ってきます。
そして山門をくぐり、拝殿へ
御醍醐天皇が祀られているだけあって、とても立派な拝殿です。。。
厳かな気分になる場所ですね。。。
御醍醐天皇
いわゆる「建武中興(けんむのちゅうこう)」を実現した天皇。後宇多天皇(ごうだてんのう)の第2皇子として正応(しょうおう)元年11月2日に生まれる。母は参議藤原忠継(ふじわらのただつぐ)の娘談天門院(だんてんもんいん)忠子(ちゅうし)。名は尊治(たかはる)。大覚寺統(だいかくじとう)に属し、1318年(文保2)31歳で即位、1321年(元亨1)院政を廃して親政を開始、吉田定房(よしださだふさ)、北畠親房(きたばたけちかふさ)、万里小路宣房(までのこうじのぶふさ)、日野資朝(ひのすけとも)、日野俊基(としもと)らの人材を集め、記録所を再興して、政務に励むとともに、学問、武芸の振興に努めた。この間、鎌倉幕府打倒の意思を固め、「無礼講」とよんだ講書・酒宴の会合に事寄せ人々を結集して倒幕の秘計を進めたが、1324年(正中1)六波羅探題(ろくはらたんだい)に密偵され、側近の多数が逮捕された(正中(しょうちゅう)の変)。この事件で危うく難を免れた天皇は、その後、皇子の護良親王を天台座主(てんだいざす)にすることによって比叡山(ひえいざん)勢力も引き入れようとするなどして、ふたたび倒幕計画を進めた。しかし1331年(元弘1)4月、吉田定房がまた計画を幕府に密告したため、8月天皇は東大寺に逃れ、ついで笠置(かさぎ)(京都府相楽(そうらく)郡笠置町)に立てこもり、幕府に不満をもつ諸国の武士、寺社勢力などに蜂起(ほうき)を呼びかけた。これに対し幕府は大軍を送って笠置を包囲したため、天皇は捕らえられて1332年隠岐(おき)に流された(元弘(げんこう)の変)。
天皇の隠岐配流中の動静は不明であるが、護良親王、楠木正成(くすのきまさしげ)らの活躍によって反幕勢力の力が強まると、1333年(元弘3・正慶2)閏(うるう)2月、天皇は隠岐を脱出、伯耆(ほうき)(鳥取県)の名和長年(なわながとし)らの支持を得て6月京都に帰った。これに先だつ5月幕府は滅亡したため、天皇は、幕府の擁立していた持明院統(じみょういんとう)の光厳天皇(こうごんてんのう)を廃し、建武新政を開始した。
新政は、従来の伝統にとらわれず、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)も置かないで、天皇が自ら公家(くげ)・武家両者を統率しようとするものであった。中央には記録所、雑訴決断所(ざっそけつだんしょ)、武者所(むしゃどころ)などの新設機関を置き、地方の国々は国守・守護併存とし、従来の官位相当や家柄も無視して公武の人材を登用した。しかし論功行賞においては公家優先であったうえ、従来の所領の領有権は改めて天皇の安堵(あんど)を受けなければならないという強引な政策を打ち出したり、皇居造営のための臨時賦課を強行したりしたため、地方武士の新政に対する不満は急速に高まった。また公家にしても、伝統的な摂関政治型の体制が否定され、天皇独裁のもとに恣意(しい)的な人事が行われたため、それに対する失望は大きかった。
そうしたなかで1335年(建武2)北条残党が蜂起すると、その討伐のために関東に下った足利尊氏(あしかがたかうじ)が反し、天皇は西上した尊氏を避けて叡山に逃れた。尊氏はいったん九州に落ちたのち再度入京、天皇を花山院(かざんいん)(京都市上京区、京都御苑(ぎょえん)内)に幽閉した。このため天皇は1336年12月吉野に逃れ、ここにいわゆる吉野朝廷が開かれ、以後南北朝併立時代に入る。天皇は諸皇子を各地方に派遣し、地方武士の掌握に努めたが、これも次々に敗れ、吉野に従う公家も少なく、孤立が深まるなかで、1339年(延元4・暦応2)義良親王(のりよししんのう)(後村上天皇(ごむらかみてんのう))に譲位、同年52歳で死去した。遺詔により後醍醐と諡号(しごう)したが、それは生前自ら撰(えら)んだものという。
陵墓は奈良県吉野町の塔尾陵(とうのおりょう)。
天皇は日本史上異例の独裁型執政を行うことによって波瀾(はらん)に満ちた生涯を送ったが、朱子学や真言(しんごん)の教義に通じるとともに、典礼、和歌などにも造詣(ぞうけい)深く、『建武年中行事』『建武日中行事』を著した。また吉野時代には「事問はん人さへ稀(まれ)になりにけり我世の末の程そ知らるる」の歌もある。
吉野神宮
住 所|奈良県吉野郡吉野町吉野山3226
サイト|紹介サイト
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